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【卒業宣言】2018年2月より北海道に戻りました。これからは北海道から発信します!


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(※追記) [追伸]を記入しました。 

どうも、片岡(@KT_Okey)です。

 

今年の1月をもって、高知県から住民票を移しました。

これで高知県での活動はいったん終え、北海道で活動することにします。

 

 

なぜ、ふるさとの北海道へ?

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キャリアの積み直しと、北海道で実践したいと思ったためです。

 

私は新卒カードを投げ打って高知県へと渡りました。

この決断が、日本国にいる平凡な人間にとってどれだけ馬鹿げたことかと必死に止めに入る人もいました。当たり前ですね。

 

それでも、自分の目で見て判断し、感じて、決断しなければ次には進めないと考えたが故の決断でした。

 

たとえ反対されようとも、私自身目撃したいことは明確であったので、

説得されようが曲げる選択肢はありませんでした。

 

その度に僕は「地球上には70億人もいるのだから、1人くらい変なことやっても地球は滅びやしない」と鼓舞していました。このくらいの自己暗示・鼓舞でどうにかやってきました。

 

高知で出会った人たちは、間違いなく人生の指針となった

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素晴らしい2年間だとと思ったのは、

・膨大な時間と生活への密着感をもって家のことを調べることができたこと。

・遠い親戚に会うことができたこと。

・自営業(フリーランス)としてメシを食うことができている人々のモデルを得たこと。

 

これらは今後どのような立ち位置で活動したいかはっきりしたと実感しています。

 

高知県(とりわけ高知市)に住まう人々の風通しの良さを見て、

この心持ちでいられたらどこでも生きていけるなと感じています。

 

ただしこれらはあくまで「モラトリアムの延長線」としてですが

 

 

「社会人として」は、失敗だったのかもしれない

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ただし「社会人として」という枕詞をつけると、

この判断は正解でもあり、誤ってもいたと思います。

 

失敗したなというのは、

・明らかにスキルがない状態で移住したことで、自分の身ひとつしか差し出せる資源がなかったこと

 

その中で自己肯定感を持つのは到底無理なことでしたし、

無理なことでも「出来ます」と言って迷惑かけたこともありました。

 

 

申し訳ありませんでした。

仮に「モラトリアム延びただけだよね」と言われたならば、

私はそうですとしか言いようがありません。

 

 

やはり「自立した側に立って、どれだけ社会と繋がっているか」

「これを体感できる側でないと説得力は付いてこない」と結論付けました。

 

いくらゲストハウスの店主として大きな顔をしても、

僕はいつでも「還元できるスキルが少ない」苦しみを抱えていました。

ちゃんと、客観的に信頼の置ける肩書きは得ないとダメですね。

 

さらに失ったこともあります。

友人の信用であったり、若さであったり金銭的価値など色々ありますが

 

失ったコトの中で特に大きかったのは、

敬愛していた叔父の死に目に会えなかったこと。

このことは改めて「家族との別れを実感させる」強い契機になりました。

せめて家族のもとへ飛んでいける範囲で、自立と自由を得たいと思っています。

 

そしてそんな制約条件のうえで、

丁寧に訪れた場所のことや見聞きしたコトを書き記していければと思います。

 

◆(仮)卒業宣言

高知で支えてくださった皆さまのおかげで、

家族ともども素晴らしい出会いに恵まれました。

 

本当に、ありがとうございます。

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2016年の途中から"ウォーリー"というキャラが立ち、走り尽くしました。

高知で探した夢は叶い、そして消え去りました。

 

もう自分が前面に出ることも、誇大して話す必要もありません。

自分の人生にとって、必要なコトの分別がついたのですから。

本当はちゃんと経済的に自立できればよかったのですが…

不完全ながらも、これで(仮の)卒業宣言とさせていただきます。

 

これからの5年は、自力で地盤を作って(完全な)卒業宣言するコトを目指します。

 

[追伸] イケダハヤトさんとの関係性を疑問視する方もいらっしゃるので…

 

●この卒業宣言。本来であれば高知に居るうちに、イケダハヤトさんにお伝えできればよかったのですが…。力不足で申し訳ないと思っています。

 

移住して二ヶ月ほど、記事を書いている時のこと。いつも頭の中で、

「ウォッチャーが見てる」「友人が見てる」「クオリティ低いとネチネチ言ワレル…」

という心理的負担に耐えきれなくなった時期もありました。 

 

 

「私は世間帯から逃れられない人間」だと悟りましたし、

この経験から「影で、淡々とする方が性に合っている」と納得しました。

 

その為「イケダさんに見合った活躍はできないし、奥様に申し訳ない」と思い、5ヶ月で支援を辞退させていただきました。

そして縁あってゲストハウスのスタッフ(途中で「店主」…支配人クラス)

として高知に携わっておりました。

 

そうして自分なりの"自立"を目指したと共に、

何としてでも高知の力になりたい、と思って活動していました。

 

私が高知にしがみついたのは、

かつて敬愛していた祖父が生まれた土地だったからというのもあります。24歳にして初めて会った親戚もいたからです。

お酒や知己に富み、商店街の歴史を知る街の人たちとも会話が弾む…。

それだけ、高知は好きな土地でした。

 

●ただしここで申しておきたいのは、

「ゲストハウスに勤めて勉強してみては?」とアドバイスをくれたのは、他ならぬイケダさんだったのです。

「話すとキャラクター強いですから、案外向いているかもですね〜」

というアドバイスがなければ、営業・接客が好きかも なんて思わなかったわけですし。

 

 

あくまで私も、イケダさんに救われた側の人間です。

申し訳ないと思いつつも、生きる為の指針ができたと思ってます。

 

 

 

延べ2500名の人々と会って、言葉を交わして思い出す_

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さてこの2年間、約2500名の人々と会ってきました。

称賛、叱咤、共感たくさんの感情と接してきました。

印象に残った言葉、嬉しかった言葉とともに締めくくります。

 

・人間いつ立ち止まってもいいんですよ。どんなに時間がかかってもいいんです。

 でも、最終的には自立を目指すべき。期限より早く卒業して自立をすること。あなたは絶対にそれを目指してください。

                (移住当初にお世話になったさんより)

 

 

・君には帰ってこれる場所があるんよ。また必ず、高知に来()いや!

                       (お店の店主さんより)

 

 

・片岡さんが凄いと思うのは「卒業を意識したこと」に「支援がどのくらい必要か自分で判断した」こと。立派だと思います。また北海道に行った時にお会いしましょう!

                           (先輩さんより)

 

・貴方の生き方には ”一生懸命に生きてる感じがします。

 遠くからあなたの夢が叶うことを願ってます。

                           (旧友さんより)

 

 

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・遠い北海道から、わざわざ高知まで来てくれて本当に、ありがとう。

 あなたが懸命に探して、そうしてあえて本当によかったです。

                           (遠戚さんより)

 

 

 

2年間ありがとうございました。

今度は是非、僕を探しに北海道へ来てください。

 

撮影:1年半を過ごした「魚の棚商店街」を去りました。

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いつまでも、お元気で。

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