日本版ザ・キャッチを忘れない。巨人へ移る陽岱鋼選手…加油(ありがとう)!
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【追記・加筆 2017 4.22 "The catch"を加筆しました】
興奮・感情をそのままに書きなぐっているので、
乱文は、ご勘弁いただきたい。
この年のファイターズを振り返るならば、彼のことは書かねば締めくくることができないからだ。
陽 岱鋼(よう だいかん)選手のことである。
2016年12月14日、陽岱鋼選手は読売ジャイアンツへの移籍が決定した。
日本ハムからフリーエージェント(FA)宣言した陽岱鋼外野手(29)が、巨人入団に合意したことが14日、明らかになった。
背番号は「2」。今後さらに細部を詰めたうえで、正式に契約を結ぶ。巨人は打線の上位を打てる中堅手の獲得を目指し、複数年契約を提示していた。
ファンからすると「名残惜しいけども、まぁしょうがないか…」という感想だ。
予算の都合や、若手を見出す風土のもとでは割り切るしかない。
残ってほしい。なんで彼が…いろんな思いもあるだろう。
いろんな記憶に思いを馳せながら、陽選手のこれまでを振り返ってみたい。
- 思えばその芽が花開くまでには、長く、長い時間を待った。
- 2014年、手負いの虎となって_
- 苦しみの中に、光は射す。
- The Catch (ザ・キャッチ)
- 2016年、優勝を置き土産に日本ハムを"卒業"する陽岱鋼へ。
- コラムはこちら。
思えばその芽が花開くまでには、長く、長い時間を待った。
2005年11月、日本ハムに指名される。
台湾から野球留学で来日し、福岡第一高校では4番に座っては大型ショートとして期待を寄せられて、入団した。
↑ 若かりし頃の陽。当時の登録名は本名の"陽 仲壽(ちょんそ)"だった。
本職だった内野手でスタートしたものの、
グラブからボールはこぼれ、送球は頭を越してしまう。
いつしか、塁間18.44mの送球がコントロールできない "イップス"に陥った。
遠投や数メートルの距離は綺麗に投げられるのに。
”すごいショックだったですよ。だってショートで頑張ろうと思ってプロの世界に入ってきたわけですから。その夢をひとつ諦めなくちゃいけない……。
(二軍の)監督室に呼ばれた時には、"あっ、オレ、トレードに出されるんだ!?"と思いましたから。そこで正式に外野へのコンバートを告げられたんです。”
二宮清純レポート ダルのこと、大谷翔平のことを語りつくす陽岱鋼「なぜ日ハムはいいチームなのか」(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(2/8)より引用
なかなか高い身体能力は一軍の世界では通用しない時期が続いた。
「日の目を見ることなく終わるのだろうか…」と心配した。
2009年から外野手に挑戦し、その年に本名の仲壽(ちょんそ)から岱鋼(だいかん)へと名前を変え、転機が訪れる。
世代交代の波に乗り、あれよあれよと右翼手のレギュラーをつかんだのが彼だった。
彼の佇まいは「これからはパリーグです!」と高らかに声を上げた、
新庄剛志を彷彿させるような雰囲気があった。
↑ 北海道移転後、最初にセンターを守った新庄剛志(SHINJO、2004~2006)
背番号1は三代にわたって「球団一の外野手」が着けてきた。
"猛々しい虎"の意味「岱鋼(だいかん)」を得た彼の生きる場所は、新庄が目に焼き付けた場所と同じ中堅(センター)にあったのだ。
それからの活躍は目覚ましいものだった。
守れば3年連続のゴールデングラブ賞。
"日本一のセンター"に輝き、「絶対の安心感」と「高揚感」をもたらした。
「走る日本ハム」というカラーを彩ったのは彼だった。
打てば25本のホームランをかっ飛ばす。
もはや格好いいという言葉では言い表せない。
待望のスーパーマンが、誕生だ。
いつしか、"台湾の英雄" やら"トリプルスリーに近い男"*1と呼ばれるようになった。
本当に嬉しい気持ちになった。
指揮官・栗山英樹監督も陽をこのように評した。
"岱鋼の守備力はセンターとしては、今、日本で一番でしょう。
守備範囲が広いことに加え、打球への飛び出しが素晴らしく速い。
(糸井)嘉男も速いけど、岱鋼の方が、もう半歩、反応が速いような気がします。"
二宮清純レポート ダルのこと、大谷翔平のことを語りつくす陽岱鋼「なぜ日ハムはいいチームなのか」(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(4/8)
2014年、手負いの虎となって_
しかし、神は順風万帆な人生を与えてはくれない。
レーザビームと謳われた肩は、怪我で思うように動かせてはくれない。
スライディング直後に左手が折れた2015年春。復帰しても三振が続き、凡打を叩く。
「これがトリプルスリーに近い男と呼ばれた選手なのか…?」夢は脆くも崩れ去った。
神はなぜ、台湾の星の下に生まれたこの選手に、苦難を与えるのだろうか。
苦しみの中に、光は射す。
今年2016年のシーズンは、復活を賭けた年であった。
途中まで3割を記録する打撃好調さ。
日によって変わる一番、三番、四番、六番…いずれの打順もぴったりアジャストするように打ち続けた。
「2014年の勢いはないけど、今年はまた、彼の年がきたぞ…!」
しかし、またもや怪我が岱鋼を襲う。8月16日のオリックス16回戦(札幌ドーム)。フェンスに衝突しながらもナイスプレー、しかし右肘と右胸部を痛めて途中交代。
右肋骨に亀裂が走る怪我だった。打撃は下降線をたどり、投げるたびに痛みが残る。
後輩たちの活躍に影を潜め、勢いが消えそうな時もあった。
耐え忍びながらプレーする姿に、痛ましさを覚えながら見ていたことを思い出す。
身体が万全ではない陽岱鋼は、途中出場の機会も増えてきた。
彼の守備は、ファンに「絶対の安心感」と「高揚感」をもたらす。
「陽岱鋼がセンターに着いた!これで安心して試合を見守れるぞ!」
しかし、今年は途中出場で陽を見ることが増えた。
確かに、彼が守備に就くだけで安心感・信頼感は一気に上昇する。しかし、
センター・陽岱鋼という"確たる地位"はもうないのだという
悲哀を感じざるを得なかった。彼の日本ハムでの栄華はすでに過去のものになった。
不動のセンターから、"中堅手一番手"へ成り下がってしまった瞬間、世代交代の波が一気に押し寄せる。
別れの季節が、顔を覗かせた瞬間だった_。
しかし、日本一のセンターという称号を得た彼に、神はチャンスを与える。
The Catch (ザ・キャッチ)
2016年 9月21日、福岡ソフトバンク戦。陽が高校時代を過ごした、福岡での天王山。
日本ハムは4年ぶりの、ソフトバンクは3年連続の優勝が掛かっていた。
ゲーム差なし、この試合を取った方が優勝に一気に近づく大一番。
神は最後の審判を、9/21に託した。
2-1で日本ハムがリードする7回、陽がセンターの守備に就く。
ウチはなんとしてでも逃げ切らなければならない。負ければ優勝は空の彼方へ消え去ってしまう。必勝体制に入った。
_繰り返すが、陽岱鋼の守備は「絶対の安心感」と「高揚感」をもたらす_。
(参照:http://tv.pacificleague.jp/vod/pc/topics/sns/16444 )
ーこれぞ「英雄」!! ファイターズ・陽 チームを救う2つのナイスキャッチ!! | プロ野球速報・ライブ中継 パ・リーグTVーより
いきなり、先頭打者の大きな打球がセンターに飛ぶ。
ヒビが治ったばかりの右肋骨が気になるも、挨拶代わりの好守備を見せる。
「心配ない、彼の元にボールが飛べば必ず取ってくれる_」
陽のもたらす安心感は、試合に均衡をもたらし、2-1のまま9回を迎えた。
迎えた9回、二番手バースはヒットと死球で出鼻をくじかれ、犠打で1アウト2・3塁とする。
ここで交代し、守護神・谷元圭介がマウンドへ。
ピンチこそ彼の舞台だ。167cmの小柄が踊り、功打者福田を三振に斬る。
2死2・3塁。迎えるは江川智晃。外野の頭を越すだけの腕力を持ち合わせる打者だ。
決して油断はできない。
改めて、ここで場面を整理しよう。
2アウト 2塁・3塁
外野の頭を超えればソフトバンクの勝利、抑えれば日本ハムの勝利。非常にシンプル明瞭、わかりやすい展開だ。
1ボール1ストライクとし、投じるボールを決める。
失投は許されない。
谷元圭介と大野奨太のバッテリーは1球ごとに、最も自信のあるボールを選ぶ。
1球ごとに最良の選択をする。その選択はカウントごとに切り替わる。
意を決し、谷元が9球目を投じる。外角へのカットボールだ。
この時バッテリーは、剛の江川を引っ掛けさせて、悔しさを植え付けるべくボールを選択した。
予想に反し、江川がそのボールを捉えた。外野への大飛球だ!
__打ったボールは上がりすぎかいや、外野は前進守備だ!
緑の人工芝に落ちればソフトバンクの勝利だ!
ソフトバンク側の期待感が一気に高まる。ファンは立ち上がり、ベンチの選手たちはグランドへ身体を乗り出す。これは勝ったか_!?
しかし、陽岱鋼は追いかける_!
彼の顔が左向きから右向きへと変わった!
背走しながら、陽は一気に落下地点へと駆けてゆく!!
もしかして、追いつくのか_?!
打球はまだ落ちてこないぞ。
「これは、本当に捕ってしまうのでは…?」「いや、取ってくれ!岱鋼!」_
_わずか0.1秒その一瞬、日本ハムサイドの希望感が波寄せる。
ファンは一心に陽に視線を集め、選手たちもまたグラウンドへ身体を乗り出した。
陽の眼は、打球を捉えた_。
落下地点はフェンスの眼前だ。陽が捕り、フェンスにぶつかり足が止まる。
瞬間、陽のグラブが挙がった。
「捕った。捕ったぞ!!!」
陽の手に、勝利が舞い降りた瞬間だった。
※その姿は、1954年にアメリカのウィリー・メイズが見せたプレー、
"ザ・キャッチ(The Catch)"そのままだった。参照動画と共に、陽のファインプレーを観てほしい。
【参照】1954年のワールドシリーズ - Wikipedia
2016年、優勝を置き土産に日本ハムを"卒業"する陽岱鋼へ。
翌日の試合も日本ハムが勝利し、天王山を制した日本ハムは4年ぶりの優勝を、そして日本一へと駆け上がっていった。
仮にソフトバンクが優勝していたならば、このプレーはすでに忘れ去られていたであろう。
それだけに、陽が日本ハムで見せた最後の輝きはこれからも語られ続ける。
そう、ある人の脳裏にはこの瞬間が"The Catch"として、残り続けるであろう。
11月、陽岱鋼はFA宣言し、新しい環境で戦うことを志した。
「プロで11年間、お世話になった北海道のファンの皆さん、球団、裏方さん、チームメート。感謝の思いしかない」
「自分が球団構想に入ってないと感じたけど、球団も僕のために考えてくれた。(育成)システムも予算も分かってる」
ー陽岱鋼、涙のFA宣言「戦力構想に入ってないと感じた」ーより
12月14日、正式に巨人への移籍が決定し、日本ハムを去る。
日本一の正夢を、ありがとう。
野球の神様よ。この一人の野球人に、喝采のあらんことを。
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