西部邁の"尊厳死"から生き方を考える_書評「死ぬ作法 死ぬ技術」
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20代で政治をかじった"意識高い系"の方々は、小林よしのり氏の漫画で初めて知ったであろうと思います。(まさに私の事ですが)
去る1月21日、評論家の西部邁(にしべ すすむ) 氏が逝去されました。
「精神的な衰えを感じたら、病院で最期を迎えることなく"自裁死"を選ぶ」
と明言していた西部氏。
その決断からどんなことを感じ得る事ができるのでしょうか_。
(前提) 保守派の評論家・西部邁とは。
西部氏は、昭和後期〜平成の約40年間を象徴する評論家でした。
北海道長万部町に生まれ、札幌南高校を経て東京大学で経済学を修了。
学生時代を過ごした「左翼思想」の背景・社会学の方法論を用いた経済学への批判をベースに持論を確立。
「朝まで生テレビ」や、論壇誌「表現者」らで保守派論客として名を馳せたのです。
"西部邁氏の膨大な著作は四分野に大別できる。
(1)『ソシオ・エコノミックス』(1975年)で開拓した社会経済学
(2)『知性の構造』(96年)に収斂(しゅうれん)した記号論
(4)『妻と僕』(2008年)に代表される自伝である。_"
本書について説明しましょう。
なぜ約10年前の、この書籍について取り上げたのか?
この書籍には、沢山のジャーナリストや医学者が筆を取っています。
鎌田實(医師)、久坂部羊(小説家)、栗本薫(中島梓の名義、小説家)…
アンケート編では佐藤優(ジャーナリスト)、堤 堯(評論家)といった論客も名を連ねております。
10年前の著作とはいえ、人々の死後について触れることは、
「みんな、どんなことを気にかけてしまうのか?」を知ることができます。
さてこの記事で取り上げる、西部氏は10年前にこのように記していました。
ダイジェストで、面白いなと思った点を書き抜きます…。
僕には 、「生きること」それだけのために生きていくことは、非常にグロテスクに思えた。
たとえば、目の前に焼き鳥がある。人間が自分の生命のために他の生命を食すのは、意味論として納得できない。
それを納得するには、自分がニワトリよりも優れているという確信がなければならない。
根拠として考えうるのは、人間には精神がある。それ故に他の生命を食してもいいだろう、ということ。で、精神とは何ぞやと考えたとき、感情も含めた言葉の能力だと思われます。(中略)
…歳をとって、その能力が失せてくる。つまり精神が衰え、やがて破綻する。そうなると、他の生命を食していい理由が見当たらなくなる。
他の生命を食べられないということは、すなわち「死」です。そのときは己の生命を断つしかない。僕は、そう結論づけた。
P35「精神あっての人間」より
「自分や周囲を納得させうる "死" 」
よく「死んでしまったらそれでおしまい、だから放っておけばいい」、
そう語る人たちがいます。でも、それは間違っているんです。
人間というのは、未来を想像できる生き物なんですね。僕が死んだとき、誰それは「西部の野郎、死んでくれてよかった」と言うだろうと想像できる。
問題は、そうした想像が現在に影響を与えることです。(中略)
_良い物語として終わらせるには、死に方こそが肝要なんです。_
P36 同上
生命それじたいは、精神を乗せる道具としてだけ大事なんです。
精神が崩壊してしまえば、生命なんてカルシウム、脂肪、たんぱく質の上に壊れ掛かったコンピュータがついているだけの代物でしかない。
あるいは、よく「生命は自分のものだ」と主張する人たちがいる。それで、あるテレビ番組で、僕はこう発言したんです。
「確かに、生命はご自分のものなんですから、その始末もご自分で考えてください」と。
P39 同上
自分と周囲を納得させうる「死」を、西部氏は行動をもって示した
翻って多くの著作・メディアのなかで西部氏は自分自身の死生観、終わりの迎えかたについて話していました。
特に遺作となった「保守の真髄」でもこのように触れていたのです。
"_病院死を選びたくないと強く感じかつ考えている。おのれの生の最期を他人に命令されたり、弄(いじ)り回されたくないからだ。_
_自分の娘に自分の死にゆく際の身体的な苦しみを、いわんや精神的な苦しみなどは、つまりすでにその顛末を母親*1 において十分にみているのに、それに輪をかけてみせる、というようなことは、できるだけしたくない、
そんなことをするのは廉恥心に悖(もと)る、と考える方向での生き方をする者がいて、述者はそうした種類の人間なのである_
「保守の真髄 老酔狂で語る文明の紊乱」(2017)より
…いかがでしょうか?
尊厳死、自殺(ほう助)という論調いかんにせよ、
西部氏の言葉からは「最期の瞬間まで思いをめぐらせ、自分の意志を通したい」
という言霊を感じるのです。
ぼくもそろそろ新しい道に進むことになりそうですが、
常に"死と隣り合わせ"という意識でいようと思います…。
あなたは死に対してどんなことを思っていますか?
切に、自分自身の死生観と向き合って欲しいと思い、
この書籍と西部氏の言葉をシェアします。
*1:2014年、妻が逝去。8年間看てきたうえでの言及