【北海道&高知】開拓移民ものがたり~高知から北見へ渡った人々の足跡をたどる~
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【高知のなかの北海道】高知市と北見市は、姉妹都市なのです
今年2018年のピョンチャンオリンピックは北海道出身者が大活躍でしたね。
とりわけ、"氷上のチェス"と呼ばれるカーリングは男女ともに大躍進。
TV前で白熱した方も多かったのではないでしょうか。
ここと、高知県高知市がつながっていることをご存知でしょうか…?
ことしは、高知市と北見市が姉妹都市の締結をして二十年の節目の年です。
明治三十年に多くの高知県人によって北光社移民団が組織され、北海道に渡り開拓を始めました。百十年も前に、土佐の先人たちが北海道の原野に挑み、厳しい寒さに耐えながら、北見市の発展の礎を築いたことに心が打たれます。
明治二年から昭和十年の間に、高知県から北海道へ約六千世帯が移住したといわれていますが、農場づくり、男爵いもの栽培、小樽運河の建設など、北見市のみならず北海道の開拓に果たした高知県人の功績は語り尽くせません。
ここは北見から遥か南へ、高知県高知市…
観光名所「はりまや橋」から東に歩くこと10分ほど。
「堀川」と呼ばれる河川地帯にいます。
遊覧船だの個人所有の船やらが、たくさん停泊してます。
その一角に、北海道北見市とのつながりを証明するモノがあります。
姉妹都市 提携記念
昭和61年4月28日
きょう2018年4月26日から約32年前のこと。高知市と北海道・北見市は姉妹都市となったのです。 一体全体どんな理由があってなのでしょうか?
石碑に記されるのは「北光社(ほっこうしゃ)移民団出航の地」…。
北光社と呼ばれるグループが、船を使い北海道に向かったと書いてあります。
沿革
明治28年 前田 駒次(まえだ こまじ) クンネップ原野 初踏跡
明治29年 北光社設立 初代社長 坂本直寛(さかもと なおひろ)
どうやらこの二人が北見への移植にたずさわったようですね。
この二人について調べて、注釈をざっと書いてみました。
前田 駒次(1858~1945) 政治家、開拓者、北海道議会議員。
(参照画像) -北見の観光情報-遺跡・旧跡・史跡-前田駒次翁像
明治26年に浦臼への入植を契機に、現地で農業・キリスト教布教・教育に携わる。
北光社の要請で、クンネップ原野(現:北見市)を調査し移植を主導する。
その後は道議会議員となり、特に北見の発展に寄与した人物である。
【詳細について】前田 駒次とは - コトバンク
坂本 直寛 (1853~1911) 政治家、牧師。坂本家の5代目当主。
(参照画像) 坂本直寛 - Wikipedia
同郷の武市安也(たけち あんや)の活動に共感、北見へ家族ともども移植。
北見→旭川→札幌と各地をめぐって開拓活動にたずさわったキーマン。
また34歳でキリスト教に入信し、高知・北海道で布教活動にも関わった。
【詳細について】坂本直寛 - Wikipedia
この二行に続いて、
明治30年 "高岸丸"120トン 浦戸湾出航
北光社移民団 550名入植
と書いてあります。何ヶ月かかったかまだ分かりませんが、
高知から北見へ移ったようです。
右側には北見が"市"として成立。
姉妹都市となった時期にも触れられておりました。
太陽のような、丸型の石碑がありますね…。
見てみると……
瀬戸内海から日本海に出て、網走(北海道の北東部)にたどり着いたと記されてます。
さらに黒い碑文に、その詳細が記されていました。
明治30年4月4日 50家族350人が北見に向けてここから出航しました。
貨物船で雑魚寝28日間の船旅は、流行病で死亡するものが出るなど辛苦の日々で、到着した北見 原生林で最初の鍬入れも開墾ではなく、
長旅で亡くなった愛児や仲間35人を埋葬する涙の鍬入れでした。
さらに原生林と熊笹を切り拓きようやく開墾した土地も、
長雨による洪水で農作物共々流出し、餓死するものや諦めて逃げ出す者が続出するなど筆舌に尽くしがたい苦労の連続でした。
このような苦境を乗り越えた高知県の人々の汗と涙の結晶によって北見開拓が成し遂げられました。
参考文献「北見開拓物語」より
「新天地を作る」べく移植した人々のつながりが残っておりました。
・キリスト教の教義をもとにした生活の拠点をつくること
・当時の国家政策で、北海道開拓による成長可能性
があったことから、北へと渡ったと考えられます。
ただ、北海道では未だ先住民のアイヌと、万事解決し切れていない事項もあります。
その功罪あれども、こうした歴史のつながりを世に掘り起こしたい次第です。