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【文化遺産】聖地・カオサンロードが「古い」と言われる3つの理由。けどもね、一度はさ……


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どうも、片岡(@KT_Okey)です。

 

タイ王国には「カオサン通り(カオサンロード)」と呼ばれる、観光名所があります。

http://globe.asahi.com/S2101/upload/2015091800007_4.jpg

朝日新聞 Globe カオサン通り 旅が交錯する街」より  (期限切れにより削除済み) http://globe.asahi.com/terminal/2015091800007.html

 

 

かつては「バックパッカーの聖地」と呼ばれた、旅人ならば必ずは訪れる街でした。

しかし、現在はその様相が変わりつつあります。

この記事で、少しばかりカオサン通りの変化を書き綴っていきましょう。

 

カオサン通りの概要

カオサン通り("カオサン・ロード"とも) は、"バックパッカーの聖地"と呼ばれる、単身旅行者にとっての重要拠点でありました。

 

 

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↑ 朝のカオサン通り。夕方から混み合うこの大通りは広々としている。

 

その歴史の起こりは1980年頃。それまで首都・バンコク郊外にある静かな通りだったカオサンが一変します。

 

時は東西冷戦が治まりつつあった1980年。

増えつつあった観光需要に対して、地元住民が、部屋を"安宿"として貸し出すようになりました。

安宿がこのエリア一体に拡がる、ゲストハウス地帯としてのカオサンの誕生です。

 

さらに増える観光・食事への需要に応えるよう、パッケージツアー代理店・チケット取引代理店・地元料理店が続々と開店。

さらに拍車をかけるは、レオナルド=ディカプリオ主演作品「The Beach (2000)」の公演。

全世界から若者がカオサンを目指し、世界的チェーン店舗が集まる"バックパッカーの聖地"として確率されたのでした。

 

 

 カオサンに来て「僕はどこへでも行ける」と思えた。

カオサン通りには、たくさんの人種・国籍の人々が多く集まります。

目立ったのは欧米系、ついで中韓・台湾ら含めた同じアジア系。たまに中東やアフリカ系の人々も見かけたかな?

 

カオサン周辺では、

公園からハヤシ君と、チャオプラヤ川とラーマ八世橋を見渡し…

ハヤシ君のブログ:ハヤシはしる

 

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・ラーマ八世橋:Google マップ

 

東南アジアならではの、「カットフルーツ屋台」でマンゴーを食しては…

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コーヘイさんと「サソリ」を食べる…。

【参照】昆虫食、マンゴーライス、20バーツラーメン日本じゃありえないタイの食事事情。 | こーへいんふぉ

※ 虫嫌いな方は間違っても押さないように!w

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そして、えんたくさんのお買い物に付いて行く。

ビルケンシュトックのサンダルを購入。(たぶん偽物だけども承知の上)

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とまぁ!カオサンに訪れたら、

「あぁ、自分はこんな見たことのない世界に来たんだ!」という感想を抱くことでしょう。

 

ただ、こんな声も聞こえるわけでして。

「"カオサン通り"がバックパッカーの聖地という話は過去の話だ」と。

なぜでしょうか?

 

①消失する「日本人の時代」

相対的に日本人が減っただけ?

カオサン通りが「バックパッカーの聖地」と変化し始めたのは1980年以降。

日本経済が絶頂期を迎えたのは1990年代の前半。

バブル景気が絶頂期を迎えた頃であります。

相対的にパワーが下がったということではないでしょうか… 

 

見渡すと欧米人だらけ

パッと歩いてみると大多数は欧米系の観光客。リゾート地のような感じでした。

その他に目立ったのが韓国・中国系の人々。

ハングルや簡体字がちらほら見受けられます。

 

 

西洋系や中東系・さらには中国・韓国の需要が広がったことで、

洋風喫茶や、もともとレストランの多いカオサン通りが「観光地」化が進んでいるようです。

 

 

②IT革命

このカオサン通りに、何を求めてバックパッカーは集まるか?

主な理由としては、以下の点が挙げられます。

1, 旅行者の情報交換

2. チケット(ツアー・航空券)の手配

3.

 

③消えていく「日本人宿」

かつては日本人を対象にした安宿「さくらゲストハウス」で虫と暑さにうだりながらも、たくさんの漫画を読んで過ごすという牧歌的な頃もあったようで。

カオサン通りの格安宿「さくらゲストハウス」が閉店したのを、今さら知った。 - やじり鳥

 

しかし現在ではどんどん「デザイン性の優れた」「立地の良い」ゲストハウス・ホステルは確かに増えています。

 

(実際、僕がバンコクで最後に泊まったホステルはデザインが綺麗でしたし、その他にももっと多くのゲストハウスが立ち上がってますから。スゲェ洗練されてる…!)

https://i0.bookcdn.com/data/Photos/Big/2914/291496/291496556/Yodsiam-Hostel-photos-Exterior.JPEG

【参照】°YODSIAM HOSTEL バンコク 2* (タイ) - JP¥886から | BOOKED

 

https://r-ak.bstatic.com/images/hotel/max1024x768/100/100010823.jpg

【参照】オーキッド ホステル (タイ バンコク) - Booking.com

 

わざわざカオサン通りを選ぶ理由が少なくなっているのでしょう。

 

 

時代は変われど、物語は紡がれていく。

「カオサンも変わったなぁ…」

「前はもっと日本人がいて、彼らと各地の情報を話し合ったんよ」

 

日本人宿として有名なゲストハウスに泊まった際に、年に何度もタイに訪れるおっちゃんから聞いた言葉です。

【参照:NAT2 guesthouse】https://www.facebook.com/Nat2GH/

 

彼らにとっては牧歌的な、何度目かの青春だったからこそ、憂いと哀愁をこの言葉から感じるのでしょう。

 

ただ、僕が初めて「バックパッカー」というフリーパスを得たあの時、

初めて得た自由の風と熱気。人種のルツボに踏み入れたあの瞬間は忘れようもありません。

 

「英語という武器を片手に、どんな出会いがあるのだろう」と、胸を躍らせたあの時。

こうやって新しい世代がカオサンを見知って、"日本人にとってのカオサン物語"がどんどんと紡がれていくのでしょう。

 

 

海外を足を伸ばすなら行ってみて欲しい! 「ひろがる自由の空気感」こそ、カオサンたる理由だ!

タイ・バンコクは他国と比べて相対的に行きやすい地域です。

英語はよっぽどのローカルでない限りは通じる世界。

地元の人も人当たりがとってもいい。あまたの国籍が集まる場所。

 

ぜひとも、英語という武器を片手にバックパッカーの世界へ飛び込みたいという方は、

ひとつカオサン通りを目指されてはいかがでしょうか。

 

 

 

タイ・バンコク参照記事はこちら。

www.shingokataoka.com

www.shingokataoka.com

www.shingokataoka.com

www.shingokataoka.com