ぼくの行動力は「たった1つの思い」から発するのだ。
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さて、第7回のこの1週間で7つ書こうシリーズ。
これで最後になります。
「広く世の中を見て回り、知りたいと思うこと」
これが、僕に唯一残る、たった一つの行動原理です。
何がというと、僕はものすごく好奇心が強くてですな、
「なんでこの物事があるんだろう?」とか「できたキッカケってなんだろう?」とか
ふつふつと湧いてくるんですな。
逆に言えば、かなりの飽き性でもあると言えます。
3日坊主を何度繰り返してきたことやら…。
このシリーズが終わったらまた三日坊主が始まるかもしれませんねぇ(誰かおもろいテーマを投げてください><)
で、いま個人的に高知に来て、進めているのは「家の歴史」ですな。
もう少し詳しく書くと、「大正期の、高知から北海道移住にまつわるエピソード」と「樺太での生活の様子」を編纂している最中であります。
なんでかというと、小学校6年生のころに日本史の授業があったかと思いますがね、
屯田兵の話があったかと思います。
で、彼らは北海道開拓のために本州の方面から渡ってきたという話で。
たいていの道産子はいわゆる"和人"と呼ばれる本州・四国・九州ルーツの人々なわけです。
そんな自分のルーツが別の場所にあることを知る前は、
えっ僕の家は150年の歴史しかないのか!?
じゃあ俺はどこから来たんだ!!!???
という子供心ながらにショックを受けていた記憶があったのですよ。
「語るべき歴史がない」コンプレックス
この一点で、北海道に生まれたことへのコンプレックスを感じることもありました。
だって、北海道なんざ150年程度の歴史しかないのですし、さして語ることもないのですよ。
もっと厳密にいうと…
・「ねぇ、アイヌ民族っていたんでしょ?」と言われたってピンと来なかった。
高校時代のわし「いや今もその血筋の人はいるけど…、実際会ったことないんだよなぁ…というか全然北海道のこと知らないな俺!」
・「そもそも自分のルーツがどこか知らなかった」
:昔の人とのつながりを感じられず、家庭の問題でもめた時期は「承認欲求が満たされず、自分でも認めるものや拠り所がなくて辛かった」
このコンプレックスが、高知県に住んで、調べてみたい!と思うキッカケになったのですよ。
そして、コンプレックスが解消される一つの原体験が、高校時代に待っていたのですよ…。
祖父の持っていた"樺太"の手ぬぐいと、親戚から聞く「高知県」のこと。
で、中学時代に母方の祖父母(今の実家)に移ることになりました。
祖父が亡くなる前の、最期の6年間だったのでタイミングが良かったですかね。
その時に、彼が「樺太の地図が描いてある手ぬぐい」を見かけたのですな。
樺太はここ。本当に日本人が住んでいたのですよ。
で、ウチの片岡さんは「小能登呂(このとろ)」というところに住んでいたわけで。
やや下の左側ですね。
これを祖父の逝去・お通夜の時に初めて知ったわけですね。
どうして「上を見ても切りのない受験勉強に、結果的に何一つも残ることのなかった野球に明け暮れて、家のこと一つも話すことができなかったのか」という空しさが襲ってきたわけです。あぁ無知とは恐ろしい。
…話が長くなりました。
まとめると、僕は無知というのが嫌いなので、物事を知り、まとめることに全ステータスを振るような生活をしています。
そのために、図書館に行っては本を借り、何かしらメモをとってはどこかに書くような感じです。
「それはカネになるんか!?」と言われたら正直、YESとは言い難いものです。
いま現在に関しては、社畜になることは既に諦めました。
そもそも同期の知人みたくモーレツに働くというのは向いてないみたいです。
まぁ何かの目的の為に会社員に飛び込むのはありでしょうけども、どうかなぁ。
自分が無知だということは自覚しつつも、誰かにとって役立つ場所や経験、コミュニティを作って、いずれか自分の子供にあげたいなぁと思っている次第でして。
そのために、知見を得ること・場所を作ること・好きな場所を残すこと…
こんなところに奔走してます。
「灯台もと暮らし」の編集長・鳥居さんのこの記事に"ヴッ"と思い、ぬるい仕事をしていないか反省しつつも、
【参照】「ライターになりたい」の言葉の裏にあるのは「場所にとらわれず自由な働き方がしたい」だと思う。 | 隠居系男子
今年は「片岡家の歴史」「高知県・北海道のためになる情報」「使ってみてほしいツール」を書いていこうと思う次第です。
(あとは「痩せてる人が格好良くなるためのページ」「地酒を探訪する」ページなんてのも面白いかなぁ…)
ということで、もっと今いる場所のエネルギーを、底力を言語化できるように頑張ります。残り1年!
したっけ、また!!!
片岡家のあった、いたトコロへ行きました!記事