「自分だけの辞書」をつくろう

旅紀行と北海道のローカル情報をまとめた地域WEBマガジン

今世は諦めます。


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こんなコメントをいただいた、先日6月1日。彼は前々から北海道に行きたいようだ。

よく考えれば、家族四人で高知から北海道なんてかなりハードモードである。2001年8月に廃止されてから、遠い縁でつながる高知と北海道は羽田で経由しなければならない。

 

 

「鶏口となるも牛後となるなかれ」という言葉が、私の身体の隅々まで染み付いているようだ。私は指図が嫌いだ。惚れ込めぬ物事・人と相対することができないらしい。

私は開き直る。来るもの選んで拒まず、去る者は追わず。ご勝手にどうぞ。

人間70億もの数がいるのだからあなたに嫌われようがどうってことはないのだから、あなたも嫌うことに何をためらうのか。どうぞ大事な時間を僕ごときに使ってもらわないで大いに結構。

 

そう気づいてから、ずいぶん精神的には楽になった。

 

 

RPGのストーリーのように。

サラリーマン生活に片足を突っ込み始めようとしたその前に、東京から逃避したのが1年前。人の縁をたどって嶺北地区や千葉県・金谷、果てはタイランドインドネシアに向かって思ったこととしては、あぁ僕は冒険が好きなのだと思った。

 

RPGのごとく、人に話しかけてはストーリーが広がる、あの感覚が僕は好きなのだと気づいたのだった。話しかけるというのは自発的な動作である。「この人にめっっっさ話しかけたい!」という衝動が胸の中いっぱいに押しかけてきて、溢るるくらいにワクワクして話しかける。道が開けるこの瞬間がたまらなく好きだ。

     

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私は人生を賭けて物語を作りたいのだと思う。誰かが紡ぎ残してくれた命を、誰の手ですら語られなかった祖父の物語をこの手で創り直す。そうして紡いだ物語を受けついで後世にほんの少し残してあげる。それを底から心酔する人々や、縁あって訪れてきてくれた人に残してあげたい。

 

好きでもないことをしない贅沢?本心を隠すことができない私にとっては、物語を作り、受け継ぐために命を使うしか残っていないのだと覚悟する。

今世は諦めました。作り出したいもののために命を燃やすと。

 

死刑宣告を受ける覚悟は、とうにできているよ。

ここまで高知で一年かけていろんなものを書き綴ってきたが、どうやら世間の目というのはかなり厳しい。イケダハヤトの弟子9号(?)という商品名を付けられたこちらに飽きているのではないだろうか。

片岡には時勢が読めぬ。

こちらにも非があるのだろうが、思うようには伸びていない。

正直自分に幻滅している。

 

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「この2年間で経験したことは、必ずどこかで返してやるんだ!」

そう振り返って今日も本を読み、箱を作り、お客を迎える_。

これが僕の、100年前に高知県吾川郡仁淀村に生まれた祖父への奉公である。

 

しかし、この生活もひとまず、あと半年と決めた。

同じ環境にい続けることは、僕にとってはできないらしい。

安住は、ひとを堕落させる。

 

 

ひとには必ず役割があるのだから信じて生きろ。

人には必ず、なにかしらの役割があると思っている。ものすごい価値を生み出す人。命を投げ出して成し遂げんとする人。身を投げ出して今世を諦めた人。どんな結末であろうとも何かの意味があって生命を授かったのだろう。私は生きようが死のうがそれはどの選択も間違っているとは思えない。

せめて、その言動は「この地球にひとつプラスを積み上げたぞ!」と、はっきり言えるだけの思いと、発露した生き様をこの世に残してほしいと切に願う。

 

こうして僕は画面を閉じ、眠りにつく_。