「大学行ったけど無駄だったな…」という背景を説明してみる。「大学全入時代」なんぞ利権の温床でしょう。
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こんな論が湧き上がっていますね。
早稲田政経卒業したけど、学歴なんて必要ないよ。 | カルロス天才.com
早稲田政経卒業したけど、非効率な投資だったな……。 : まだ東京で消耗してるの?
それに対して「いやあなた、卒業してるじゃん」「それをキャラにして売ってるのに何言ってるの」という論調ですが、
これはあくまで「実は学歴必要ない世界ってあったのかぁ…」ということを経験し、悟ったからこそあえてその肩書きになっているわけですよね。
人間やはり肌で実感してみないとわからないものです。僕も「あぁ中大卒業したけどこんな感じなんだ」と初めて悟りましたし…。
改めてなぜ、"大学行ったけど無駄だった…"という論が出てくるのか、過去に遡って考えてみましょう。
【引用】70年前、いまも続く日本の教育制度に、物申した人がいた。
現在は、
小学校6年 中学校3年(ここまで義務教育) 高等学校3年 短期大学2年・大学4年
という制度なのは周知の通りです。
この現行の教育制度になったのは1947年のことです。
その教育制度に対して、否定的に捉えた人がいました。
林学博士・著述家の本多静六です。
本多氏はスーパーマンのような人で、
学者でありながら経済にも見識があり、投資によって一大財産を築いた人であります。
1952年に執筆した「人生計画の立て方」でこれが述べられています。
本多は高等学校の教育に関して、こう述べています。
ところが、 終戦後の学制改革は、その最も適当とみられた実業学校を廃し、三年制の高等学校に併合もしくは併科してしまったので、 その職業教育はすこぶる不完全なものとなった。
実際において、今日の高等学校普通科では、職業的ななんらの素地は養われない。中途退学でもすればますます使いものにならぬ。
したがって、ただこれだけでは適当な職が得られないのみか、たとえ得られたとしても、一定期間は甚だ大きなムダがあり、本人もまた、苦しまなければならぬ。
仕方がないので、本人の実力や家庭の経済事情を無視して、ムリに大学へでもすすむほかはなくなるであろうが、その効果はいよいよ芳しくない。
いたずらに齢を加えた平々凡々の職場人を作るだけで、国家社会の損失も大きい。
-人生計画の立て方- 「学校の選び方と進み方」より引用
これまさに現在の日本が置かれている状況ですね。
極端な話をすると、"Fラン大学でもいいから進学→落ちぶれて退学"
みたいなケースが起こっているわけで。
つまり、職業的観点から見るならば、
「仕事ができるかどうか」="実務経験の数"というわけです。
たとえば高等学校の普通科や、いわゆる文系学郡のリベラルアーツは"教養"、"見識を広げる"という点では役に立つのですが、
「実務を積む点」に注目すると、全くの机上の空論だというわけです。
「新卒1年目から即戦力になるなら、それを見すえて大学一年生から仕事してるわ!」
「4年後に就かない飲食のアルバイトじゃなくて、別の業種をしているわい!」
という学生生活を送る方がよっぽど合理的だってわけですね。
この学問(予想)と実務のギャップが、「新卒で入った会社を一年で退職する率30%も…」ということに繋がっているわけです。
ここに、「〇〇大学を卒業したけども特に価値はなかったよ」という主張が湧き上がる理由です。一貫性が取れないのですから。
少し先の話をすると、
「大企業に入ったけど転職できない」という人も一部存在します。
この意見も同様です。
その社内でしか通用しない"普遍性のないスキル"を会社側に養わされたということでしょうか。自ら安住してしまったということでしょうか。
いずれにせよ、"普遍性" "スキルの掛け合わせ" "適正を定めること"がこれから全国各地どんな環境でも働けるようになるためのヒントですね。
「可愛い子には経験をさせよ」
今後、どんな団体であってもビジネス感覚を持つことが必須になってきます。既に行政やNPOであっても追い求められていますよね。
自らお金を回す経験、交渉、相手の反応・様子を見る…などなどたくさん学べる機会があります。知財もインターネットの発展でかなり蓄積されているし、羨ましいですね。
↑子供主催の 『こどもマルシェ』 ~当日の様子~ Atelier GiGi のソーイング・ノートより引用
作って売る。肌感覚でお金を回す経験ができるのはいいなぁ。
これから僕ら親になりうる世代に「必要な考え」とは…?
はっきり言って、僕ら20代の世代と、
親の世代(40~50代かな?)に、もっといえば定年退職するような60代の方々とははっきり言って考えかたが全く異なってきます。
僕らに関していえば、公的年金やら労働環境やら保障されていない世代なのですから。
テクノロジーも日進月歩の状況で、どんなキャリアパスを手にするか画一的ではなくなります。
そんな環境下に置かれる僕らにとって必要な考え方はおもに2つかと!
・「大学→新卒就職だけでない選択肢」を考えられる知見
・「それを許してあげるだけの勇気」
だと考えます。
資源がなかったからこそ商売で世界的に影響力を持ったイスラエルの人々のように、
どんどん外へ活躍できる人材が増えること。まさに「和僑(わきょう)」と呼べる人々が必要とされるのです。
こう思っているからこそ、僕も若い世代が来たときにはアドバイスや、面白い人へと受け渡しをしております。
同じ高知県内で、特に盛んに活動されている、
僕らの子どもたちは、もっと身軽になるんです。
だから、僕らも僕らの子どもたちに必要ない重しを、僕らの代で取ってあげましょう。
そして、どんなプロセスをたどった人でも許容できる社会を、
目指そうじゃありませんか。
その他コラムも、読んでくださると嬉しいです。