「自分だけの辞書」をつくろう

旅紀行と北海道のローカル情報をまとめた地域WEBマガジン

例えば、限界集落にいるとして、”課題を解決する”より「あるものを面白いモノに仕立てる」というスタンスのほうが成功するという仮説。


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_「限界集落」「消滅可能性都市」という不名誉(?)な肩書きを得てしまった町があるとしよう。事実、人口はここ40年で40%も減り、65歳の人々は町の人口の半数を越えた。

 

さぁこのままでは立ち行かなくなる。この町の未来をどうするか。「地域の人々がつながる場所を作ろう」でも「町の外でも売り出せるモノを作ろう」でもいい。

 

ひとつの問を提起したい。

 

 

Q.このとき、【どんな意識に基づいて】読者のあなたは、この問題に取り組むだろうか?

 

①課題を解決しなければ、という問題意識

 

②このアイデアあったら面白いだろうなぁ、という空想

 

どちらだろうか。

 

 

 

 

 

直感でOK。全然構わない。あなたが最初に思ったのはどちらだっただろうか…

 

………

 

 

 

だが、ここでは、別にどちらの回答だったかは問わない。どちらでもよいのだ。

 

人は、何かマイナスの状況に向き合うと、「目の前の課題をどう改善・解決するか?」

つまり【よくない状況のモノ・コトを直す】という【マイナス→プラス】という感情の転換に基づいて考える。

 

おそらく、「人口減少」という課題を念頭に置いていたのではないだろうか。

 

こうした意識が原点だと、「課題を解決する」というスタンスからはなかなか抜けきれない。「マイナスをプラスに転換した」というマインドからは抜け出すことがないのだ。

 

"この寂れた地域を改善したい!"という課題意識をベースにするよりも、

「こういう場にしたい!」というアイデアを膨らませる方がワクワクしないだろうか。

 

そうした、「あるものを活かして新しいモノ(環境・世界観)

を作り出す」というマインドセットのほうが、町おこしに携わる自分たちの心をもっとフランクに、「もしかしたらこんなコトをしかけてみたら面白いかも」という【前向きさ・プラスの感情】に繋げてくれる。

さらにアイデアを膨らませるという行為もまた【プラスの感情】であり、感情が決して後ろには向いていない。

 

形を変えた商品が売れるモノに、いつしかその土地のブランドとして認知されるキッカケの全ては、こうした「遊び心」から生まれ、プラスの感情をプラスへと膨らませることが成功に繋がるのだ。

 

 

 

という仮定の仮説バナシでした。(完)

 

 

【追伸】

ここまで、客観的な根拠・事実なしに、頭の中で描いた空想(この話は~だろうな)をベースに書いて来ました。

 

何のデータ(根拠)もなく話すことは自分でもモヤモヤします。だって自分の話を正当化、正しいとする根拠がないのですから。

 

僕は元々、

根拠のないハナシというのが嫌いで「夢とか、実現してないこと話すのバッカみたい。事実に基づいて話さないとダメでしょ」

みたいな、妙な正義感を持っていました。

 

ですが、そうした主義が「あれ、なんか違うな?」と疑ったとき、自分の生き方を疑うようになりました。僕は自らの首を締めるような考え方をしているのではないかと感じ始めたのです。

 

だから、自分のなかに生きやすさを作るために、遊び心を作るために、事実に基づかないフワッとした文章を書いてみたりします。

 

データのない空想じみた仮説立てだとしても、「こんな展開にすると(自分が)面白いと思えるぞ〜」と感じながら一本書いていくのはとてもワクワクします。

 

読みづらいとか、ズっこいてるだけだと言われるかもしれません。でも、ブログを書くこと、拡げて言うならば、表現することに答えはないのですから、

 

空想でもいいから、

「ワクワクする心」「遊び心」を持つことを忘れないで、(これからなる人も含めて)表現していってほしいと思うのです_。

 

 

というような、

「空想することも案外楽しいし、心を軽くするからそんな時間を作ってみて!」

というハナシでした。(いや分かりづらいわw)