高知・龍馬の子孫が「北海道に渡った」ことを知っていますか?
スポンサーリンク
どうも、道産子で高知に住んでいます、片岡(@KT_Okey) と申します。
生まれは北海道なのですが、「家のルーツは高知県だよ」と亡き祖父から言い伝えられた者です。
それから高知に憧れ、高知とはどんな土地柄なのか…?
「ぜひとも現地でルーツを調べたい!」と思っていた矢先、
イケダハヤトさんから「高知に来ませんか?」というお話をいただいて高知県に移住した人間であります。
(参照:まだ東京で消耗してるの? )
そんな私が、現地に降り立って「坂本家と北海道の繋がり」を調べてみました。
どうか、ちょっとの時間、読んでいただけると幸いです。
高知のイメージといえば…「坂本龍馬」(&"カツオ")
歴史のヒーローと言われる彼のことは、名前だけでもご存知かと思います。
「何やった人だっけ?」という方のためにざっと書き記すと……
①幕末(1850年代)の国際情勢に立ち向かうべく「新政府の樹立」*1に関わった人
②その実現の為に、江戸幕府から政治を行う権力を引き受ける「大政奉還」に関わった
功労者の一人です。*2
極端に言えば「265年続いた江戸幕府を倒して、新しい政治システム作りに関わった人」が坂本龍馬なのです。
その南国土佐の英雄たる龍馬が、北海道へ渡ろうとしていたことはご存知ですか?
意外にも、名前は知っていても北海道との繋がりを知る人はあまりいません。
(という僕もそうでしたから…笑)
ここから龍馬をはじめとした"坂本家と北海道"の繋がりについて書き記していきます。
龍馬は"蝦夷地・北海道"に夢を抱いていた
龍馬は大政奉還と同時に"北海道移住"を夢見ていました。
なぜこの夢を抱いたか?
それは、龍馬が結成した貿易団体("商社"の先駆け)、"亀山社中"(のちの「海援隊」)が
①事業の一つとして北海道開拓をめざし、
②日本海の天然資源の流通を目指すという、大きな野望を持っていたからです。
さらに、③国防を担う私立軍隊 としての役割も有していました。
ただし、これらは龍馬自身が北海道に出向いて判断したわけではありません。
龍馬へ"北方の海防" "開拓事情"の情報をもらいながら進めていたのです。
その後(北添 佶磨 (きたぞえ きつま)は)、安岡直行、能勢達太郎、小松小太郎と共に奥州や蝦夷地などを周遊して北方開拓を発案。
これは、京にあふれている浪士たちをそのまま蝦夷地に移住させ、対ロシアを意識した屯田兵と化し、治安回復、北方警備を一挙に行なえる可能性をもった計画だった。
龍馬は"未知の大地"へ向かうべく、北海道移住をめざして大政奉還を実現させました。
そして、いつでも北海道に行けるように、妻のお龍(りょう)にアイヌ語の教科書を渡していたようです。
_北海道ですが、アレはずッと前から、海援隊で開拓すると云って居りました。私も行く積りで、北海道の言葉を一々手帳に書き付けて、毎日、稽古して居りました。
或日、望月(亀弥太)さん等が白の陣幕を造って来ましたから、戦争も無いのに幕を造って何(ど)うすると聞けば、北海道は義経を尊むから、此幕へ笹龍桐の紋を染ぬひて持って行くと云って居りました_
【参照】「千里駒後日譚 (せんりごま ごじつたん)」
その矢先、龍馬は京都の近江屋で幕府派の警察部隊「京都見廻組」に暗殺されます。
北海道移住の夢を果たすことなく、天命を終えたのでした。
龍馬死すとも夢は続く。龍馬の夢は、その子孫たちが受け継ぐ
こうして龍馬の夢は、若かりし頃から付き添っていた子孫や親戚、愛弟子に引き継がれていきます。
その先駆けを作ったのが、坂本 直(さかもと なお) です。
坂本 直 さかもと なお(→函館) 1842~1898
龍馬家の二代目。龍馬家の養子になるまで「高松太郎」。
のちに叔父・龍馬の養子となって坂本家の2代目当主を名乗ります。幼少期から龍馬と接点が多かったそうです。
そのため龍馬の紹介で「龍馬の師・勝 海舟」のもとで航海術を学び、貿易団体"海援隊"の幹部として活動。そして龍馬ともども北海道移住を目指していました。
しかし、龍馬暗殺の報を聞き、直は愕然とします。
「あぁ、あの叔父上が死んだ…」
慕った叔父・龍馬の夢を継ぐべく、明治政府樹立後に函館裁判所権判事(役人)としてわずかな期間ながら、北海道へ渡るのでした。これが坂本家最初の北海道上陸です。
その後、龍馬家の養子となり1871年に「坂本 直」と改め、高知に帰郷。妻・息子、弟の「坂本 直寛(さかもと なおひろ、下記参照)」の 北海道行きを見届けるのでした。
その息子、直衛(なおえ、1884~1921) は叔父・直寛と空知郡浦臼の「聖園農場」の発展に力を尽くしました。
しかし、生涯独身だった直衛は船上にて事故死してしまい、龍馬の分家は直衛で途絶えてしまうのでした。
(これ以後の坂本家は、龍馬の兄・権平の血筋が続いていくことになります。)
坂本直寛(→北見→浦臼) 1853~1911
その直の弟が坂本直寛(なおひろ)です。幼少期は「高松 周吉」。
その後、坂本家分家の養子となり「南海男(なみお)→直寛」と名乗りました。
若かりし頃は自由民権派の政治家として、名弁士として活躍。西洋思想を学ぶために"キリスト教"に入信。彼をきっかけに坂本家の人々はクリスチャンが多かったのでした。
その高知県議会議員を辞めてまで、独立自尊とした農業開拓を志し、1898年に北海道移住しました。
当時の直寛の心境が以下のように残っています。
「将来日本社会に一つの潔き義に生きる、神の国を作りたく」
その後、北見・訓子府に開拓団体「北光社」による農業開拓を主導、のち空知郡・浦臼にある「聖園農場」を経営し、北海道内で農業開拓・聖職者として生涯を全うしました。
その子孫の一人に、北海道出身の画家「直行(なおゆき)」がいます。
坂本直行(→十勝) 1906~1982
坂本家8代目当主。農業・畜産業を営む傍、画家として北海道の大自然を描き続けました。名前を音読みにした「チョッコウ」さんと呼ばれて親しまれました。
⬆︎透き通ったような、淡い線が特徴的。厳しい北海道の大自然を描く
⬆︎北海道の銘菓店「六花亭」の包装紙を描いたのは、実はチョッコウさん。
描かれている花々は"十勝六花"と呼ばれる*4。
北海道に残る"坂本龍馬"の記録
坂本家の資料についてまとまっているのは以下の資料館です。以下の資料館・HPを参考にいたしました。
①「北海道坂本龍馬記念館」http://www.ryoma1115.com/
:北海道の函館市にある記念館。明治初期の戦地「五稜郭」にも近いです。
②「高知県立坂本龍馬記念館」http://www.ryoma-kinenkan.jp/
:高知市の南側、桂浜にほど近い記念館です。
※2018年4月21日に、改装リニューアルOPEN!
※この高知市・桂浜の記念館に訪れた際(2016年5月)には「海を渡った"龍馬"たち展」が、期間限定で開催されていました。
③「 龍馬の生まれたまち記念館」
:高知市の中心にほど近い「上町5丁目」にある記念館。ムービーなど子供にも見やすい工夫がなされております。
関連書籍もこちらに掲載!
こちら、実際に見つけた書籍です。関心がある人はポチッとどうぞ。
さいごに
いかがだったでしょうか?ここでは重要人物をざっとまとめた感じにはなり、悠長には書くまでには至りませんでしたが…。
しかし、こうした野望・理想郷を目指して開拓しようとした人々の底力には敬服します。僕らの活動は、そうした夢を持っているでしょうか。何かそんなことが問われたようにも感じます。
私は2018年春に高知を離れますが、家系の故郷である"北海道と高知のつながり"を記していけたらと思います。
これからもどうぞ、よろしくお願いします。
「北海道と高知」のつながりを描いた記事はこちら。
・「高知市」の記事②