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【インタビュー】道産子が高知へ?俳優 「神山てんがい」さんに突撃してみた。


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どうも、はりまや橋ゲストハウスで店主をしています、片岡(@KT_Okey)です。

ゲストハウスには、沢山の一期一会があります。

 

台湾・香港・フランス・ドイツ…世界中から日本各地まで。

たまたま高知を選んで来た人。念願のカツオのために喜び足で来た人。

お遍路で四国を歩く人、仕事で来たビジネスマン…etc

たくさんの境遇を持つ人々と出会えました。

 

そんな、年間で2000人近く来る小さなゲストハウスに、一人の宿泊者がやってきました。

 

彼の名は、神山てんがい。

北海道出身、東京育ちの彼は

 "たった一本の舞台" を作るために高知に足を運ぶのだ」と。そう語りました。

 

これは高知県出身の、幕末土佐の絵師の生涯に魅了された俳優の、世界でひとつの物語です。

 

 

No.2 神山てんがい

http://image.dailynewsonline.jp/media/f/1/f15a5bce01f9b22b98420bbac71b16ac010cb360_w=666_h=329_t=r_hs=1c8ded9ffbb4f248d4dcda9937ed2ca2.jpeg

【引用元】神山てんがい(役者)「琴線を揺り動かす作品に出会えると、役者で良かったと思う」絵金を甦らせる人間力 | 日刊大衆

 

1970年北海道札幌市生まれ。

幼少期に上京し、大学時代から舞台を学ぶ。

演劇・音楽・ダンスのコラボユニット「煉獄サアカス」主宰。

映画・舞台俳優として出演する傍ら、脚本家・演出家としても活動。

 

現在は、江戸時代後期~明治時代の絵師の生き様を描く「絵金縦遊伝(えきんしょうゆうでん)~漁り火の向こう~」を制作中。

20171125, 26日の二日間、高知県香南市で上演。高知県で公演するのは初となる。

 

カタオカ:てんがいさん、いつもお世話になってます!

 

てんがい:こちらこそ、しんご君にはお世話になってます。

どうぞよろしくお願いします。

 

 

道産子の血は引けども、東京で過ごした幼少期

 

てんがい:

生まれこそは札幌だったけども、両親の仕事で東京に移ったんよね。

けども、真駒内*1に父方の家があったんで、毎年夏と冬に顔を合わせに行っていたよ。

 

思えば、"だるまストーブ"なんてあった時代だね。 

 

わしが見てきた札幌の風景は、小さい町まちが地下鉄ができてからどんどん繋がっていくような光景じゃったね。

https://pucchi.net/img/image_closeup/subwayhistory22.jpg

【参照】札幌市営地下鉄で活躍してきた車両の変遷をたどる – 北海道ファンマガジンより引用。 1970年ごろに1971年12月に開通した地下鉄は「真駒内〜北24条」と少し短かった。

 

 

 

地下鉄ができる前は、田舎の村が点々としていたイメージ

まるで「北の国から」みたいだったね。

 

東京に移ってからは家族で東村山のあたりに住んでいたから、原風景がどんどん変わっていくのは面白かったね。

だけども、今よく来る高知もまた、風景が全く違って興味深いね。

 

 

舞台で生きる。決心した大学時代を振り返る

てんがい:

今の仕事が芸術系だから、練馬あたりに住んでいたイメージされるけど

僕は町田市のキャンパスに居ったがよ。

 

ここが、なかなかワイルドな大学でね。

どっかからニワトリやらレンガを盗ってきて、サークル室で料理したり模様替えする学生もいたきね ()

 

 

振り返ってみると面白い大学だったと思うけど、その演劇部に入ったのがキッカケやね。

そこから自分で劇団を立ち上げて主催したり、他の劇団に参加したりと色々やってたね。

 

専攻や劇団の活動を通じて「あぁ、芝居こそ自分の道だな!」と決断した時だったなぁ。

 

 

 

現在の活動「絵金さんの舞台」を作るキッカケは……

神山さんは大学卒業後も、舞台俳優を軸としてアーティストとして東京で活動を続ける。

そして2010年ごろ、この記事のもう一つの本題である「絵金縦遊伝」を作り始めるのであった_

 

 

この舞台「絵金縦遊伝」の主人公・絵金(弘瀬 金蔵)という人物について補足をしておこう。

弘瀬 金蔵 (通称:絵金)は、18121876年の間に、土佐藩で活動した絵師のことである。

http://blog-imgs-43.fc2.com/g/e/n/genkikashima/lrg_12475014.jpg

【参照】 http://genkikashima.blog.fc2.com/blog-entry-333.html 

    晩年の金蔵とされている。

 

彼の門下には10数人の弟子がおり、その中には土佐藩士として有名な「武市半平太」「河田小龍」の名も残る。

 

現在もなお、香南市赤岡町では「絵金蔵」という専門の美術館もあり、各地で積極的な文化活動が続けられている。

 

神山さんが「絵金縦遊伝」を作り始めるキッカケ。

ひとりの香南市出身者と出会ったことが始まりであった

 

 

 

 

 

絵金さんと出会ったのは2010年の事。

(高知県)香南市出身で、絵金縦遊伝のプロデューサーを務めている渦ヨーコと出会ったのが転機やったね。

https://d1fdy26u973qrp.cloudfront.net/projects/yoibarezaekin/updates/e6e1d6cb-abbe-4c89-907b-2f532e8d2f47

手前右、渦ヨーコさん (手前左が絵金の妻・初菊役 上森ひろみさん)

 

 

渦が、2007年ごろかな。わしが主催する劇団にミュージシャンとして参加したのが最初の出会いやった。

2007年に会うてからよく共演するようなったんだけども、ちょくちょく「絵金にまつわる舞台をいつか開きたい」と夢を語ってて。

 

2010年ごろに、

「てんがいさん、絵金の芝居やろう!」「高知まで絵金を見に来てや!」

と、首根っこ引っ張られるように渦に連れて来られたがよ()

 

 

現地に行かねば雰囲気もわからぬということで、真夏の7月に初めて高知に降り立った神山さん。

季節は夏。絵金のふるさととも言われる香南市赤岡町「絵金祭り」へと渦さんと出向いた。

 

毎年715日に赤岡ではこの祭りが行われる。普段は専門の美術館『絵金蔵』に収められている屏風絵が、年に一度だけ外で展示されるのだ。

150年前に描かれた絵金の絵は、わずか数本のロウソクで灯される。その絵すべてが、鮮やかな朱色で見栄えし、また不気味にも私たちの眼に映る。

その絵はしばしば「おどろおどろしい」と形容されるほどだ。

 

 

 

一つのろうそくに照らされながら展示される絵金の絵が、神山さんの目を捉える。

ひと眼で気づく鮮やかな朱色に、躍動する筆線。

歌舞伎を題材に、命のやりとりをする厳しい場面から日常生活まで、人間の本性である「性」を描いた絵金の姿を、神山さんは見た。

 

 

 

赤岡のまちを歩き、町の人と話すうちに神山さんは「祭りには絵金への畏敬の念と、大事にしたい思いがこもっている」と気付いたのだった。

予想以上に大きな何かにとらわれ、2010年の段階では首を縦に振らなかった。

 

(週刊大衆7月10日号 より)

 (絵金さんは)長いさすらいの後に、伯母がいた赤岡に住みついた。

それでも、突然フラっと旅に出るような生活だったようなんです。今で言うバックパッカー気質だったんじゃないかなと。

(中略)

 そういうところに憧れのような気持ちを抱きますし、何より謎に包まれているぶん、物語を作る側としては非常に魅力的なんです。各地に残された点と点をつないで、一つの物語にしていく。とてつもなく時間がかかるんですよ。ライフワークとしてやっていくしかない。だから、絵金を演じると腹を決めるのに、3年くらいかかっちゃいました。

 

【参照】https://taishu.jp/detail/28412/

taishu.jp

 

 

_神山さん自ら赤岡に足を運び、絵金の眠る墓(高知市薊野(あぞうの))に、絵金聖誕祭(高知市はりまや町)へと自ら足を運んだ。

脚本を書き上げ、ようやく決心したのは2012年の秋であった。「絵金の故郷、赤岡で舞台を公演する」と。

 

 

絵金自身ではなく、妻の初菊がメインに

2012年から「絵金縦遊伝」と題して脚本を自ら書き、同年冬に初公演を実現させた。

「東京がゴールじゃない、高知の赤岡で上演してひとつのゴールだ_」

 

ところが2014年に脚本を書き直すことに。

妻・初菊を演じる上森ひろみさんと出会ったことであった。

http://livedoor.blogimg.jp/ekingura/imgs/2/3/23e6a3bb.jpg

【参照】絵金蔵

 

 

てんがい:

「絵金さんに奥さんがいたのは調べているうちから知っていて。けども彼女の記録はほぼ残っていない。

でも、絵金さんの生涯から、初菊さんがどんな人だったのかどんどん想像を膨らませて初菊さん像を作っていったね。

 

絵金さんと初菊さんには 子供が三人いて、弟子も10人以上いる立場だったけども、

夫である絵金さんが突然バックパッカーのように旅に出ることも多かったから、家を管理していたのは初菊さんの方だろうねと。こんな風に一つ一つ人となりを作っていったね。

 

で、最期には絵金さんは1872年、66歳で亡くなって、

初菊さんも添い遂げるように3年後に62歳で病没するんだよね。

一人芝居をしている頃からずっと、初菊さんの居る芝居は想像していたんよ。

 

で、あくる日に「奥さん役…誰がいいかね?」と話になってね。

「上森ならピッタリじゃない?」と鶴の一声が。

配役にピッタリだと思って、上森に聞いたら「私、高知出身なんよ!」ってね。

その時に初めて身の上を聞いたがよ。()

 

 

「絵金さん」の姿を何度も追いかけて。

それからは絵金さんがどんな環境に身を置いたのか実際に歩いたり、より詳しい人に聴いて脚本を膨らませてね。

横田さんと言う、日本各地へ赴いて絵金さんを調べている女性の方にも師事しました。

 

そして絵金さんの風景を想像して歩いてみて、

「あっ武市半平太の道場ここにあったんだな…」とか、風景を実際に行ってみて歩いてくことが大事なんよ。

赤岡の町には今でも絵金さんがこもった蔵があって、

そこから海沿いへと想像しながら歩くようなフィールドワークをして、

わからないところにぶち当たったら横田さんにいろいろアドバイスをいただいたね。

 

【参照】絵金調査の学芸員・横田さんのインタビューはこちら

 

 

 

こうして、イメージとして求められている絵金蔵と、自分の絵金蔵を組み合わせていく作業が繰り返されるわけ。

絵金さんはともかく、妻の初菊さんについてはもっと文献が少ないから、類推しないと先に進めないんだよね。

「絵金さんがこういう人だったから、初菊さんはこういう性格でないと夫婦生活ついていけないよねぇ」と話したりしてね。()

 

そういえば、3人の子供のなかに「糸萩(いとはぎ)」という娘がいて、彼女の嫁ぎ先から絵金さんの描いた絵本が残っていたんよ。

こんなところからも「絵金さんは子煩悩だったんだなぁ~」って想像しながら進めて行ったね。

 

そして、弟子の武市半平太さんとも関わりがあって、土佐勤応党の本拠地に実はいたのかもしれない。

政治活動のパトロンだったとも予想されているんだよね。

まだまだ研究の余地はあるけども、謎に包まれていることも多いのが、絵金さんです。

 

 

カタオカ:てんがいさんの手で「歴史を書き直す」ということでしょうか

 

史実が残っているわけだから、すべての史実を拾った上で、

資料が残っていない部分は、ほかの資料や伝聞を伺ったうえで繋ぎ直してみるんよ。

推測、想像から絵金さんが足を運んだ風景を作っていく。この「絵金縦遊伝」も、類推を交えながら物語が進んでいくんだよね。

 

ちなみに、史実に残っている初菊さんの話で唯一残っている話は、 

「金蔵さんは愛想がなかった」とか()

 

ただ、高知の女性は商才に長けた人が多くて、

絵金さんに代わって初菊さんが絵の値段を交渉していたのかもしれんと考えちょる。

 

例えば、この作品の中でも依頼者と値段の交渉する場面があって、

依頼者:「松の木を加えたら艶やかなのになぁ~」

初菊:「それなら一両あげてもらいたいですねぇ」

という風にね。

 

まぁ絵金さん自身が、各地を放浪していたから、

初菊さんに家庭の財務は任されていたと推測しているんよ。

あくまで推測 やけどね。

 

 

カタオカ:こうして、てんがいさんは、「絵金」さんの姿を世の中に投げかけるわけですね。

 

てんがい:

絵金さんについて史実が決して多いとは言えないし、初菊さんに至ってはほぼ無いと言っていい。

例えば、絵金さんが土佐藩から解雇されてから赤岡の町に移住するまでの間が謎に包まれていて、

一説に「中国に渡った」なんてのもあるけど、さすがにこの説は空想やろうね()

 

もっとも有力なのは「大阪の劇団にいた説」で、舞台俳優や裏方として外の世界を見ていたんだと思う。

某という人物の日記に「神戸まで遊びに行って金蔵さんに会いに行ったけど、いらっしゃらなかった。残念だなぁ」という趣旨の記録が残っていたんだよね。

(絵金は関西の上方文化に詳しかったとされ、証左に現存する絵にも楽屋から舞台を望む場面がある)

 

 

そんな絵金さんは土佐に戻ってから親戚の縁をたよりに、赤岡(香南市赤岡町)に移り住む事なるわけで。

 ・赤岡に来て、絵金さんがみずはほらしすぎて町の商人がパトロンになってくれた

 ・徐々にその腕前を認められた

説と分かれているだけ、認められたのは間違いないやきね。

 

こんな風に謎が多いだけに、書きがいも、調べがいもあるがよ。

 

このインタビューの中でも土佐弁が散見されますが、

自ら土佐弁に関係する書籍・辞典を開き、違和感ない「土佐人」であれるように研鑽しているのです_。

 

Q. この舞台を、どう育てたいと思ってますか?

てんがい:

「高知の人たちが絵金さんをもっと盛り立ててほしい」と思うし、

「絵金さんという芸術家を残していってほしい」と思い、「高知の絵画文化のきっかけ」になれば嬉しく思います。

今後は、形ある記録として映画化も含めて、『絵金縦遊伝』の完成系を目指したいなぁと。

 

最終的には僕でなくて、高知の人が追いかけてほしい。

あくまで今は「神山てんがいが思う絵金像」を、世の中に投げかけたいと思うちょります。

あぁそうそう、誰かがジョン万次郎の舞台を作ったら、ぜひとも見たいがよ。

どんな風に描くのかなぁ…。ぜひとも見てみたいものです。

 

 

あとがき

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「生まれは北海道、育ち東京」という高知とは何ら関わりもなかったところから絵金と出会った神山てんがいさん。

しかし、筋骨隆々、柳のようなしなやかで強い雰囲気をまとう神山さんと繋ぎ合わさった絵金との縁。

 

かくいう筆者も「100年前まで高知に血筋が残っている」という理由だけで移住してきた人間。

それぞれのそんな境遇をもとに、気まぐれな天は僕らを繋ぎ合わせたのかもしれません

ね…。こじつけですが。

 

絵金の故郷ではじめて開催される「絵金縦遊伝」。

これからも一人でも、絵金という人物に出会えることを心待ちにしております。

 

 

【PR】絵金縦遊伝は2017年の "11月25日 26日 の計3回上演。

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【日程・開演時刻】

  11月25日:①13:30~ ②18:30~

    26日: ③14:30~  (各2時間の上演予定)

 

【場所】高知県香南市 赤岡町845 「弁天座」

   ・Google マップ

 

【チケットお問い合わせ】

  ・弁天座 0887-57-3060

  ・絵金蔵 0887-57-7117

  ・高知新聞プレイガイド 088-825-4335

  ・高知県立美術館 088-866-8000

 

 

絵金にまつわる参考ページはこちら。

① 「学芸員から見た絵金像」はこちら!

 

② 高知発のYoutuber「ちゃがまらん」が絵金の町「赤岡」に潜入!

絵金祭りという恐ろしい祭りで恐ろしい人に会うて恐ろしい事に…


③赤岡に根付く美術館「絵金蔵」

 

④11月25,26日の舞台「弁天座」


 

*1:札幌市の南部