【コラム】なぜ「うさんくさい!」と、ミニマリストへの批判は起きるだろうか。
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( 2017.7.4 修正しました)
どうも、片岡(@KT_Okey)です。
2015年に「ミニマリスト」の概念を知りました。
有名な本としては、まずはこれを参照に。
徐々に「場面が限られようとも欠かせないモノ」「長く愛用できるモノ」ってなんなんだろう?と思いながら、モノを買うようになりました。
学生時代はモノにあふれて思考も部屋もグチャグチャだった頃に比べると、だいぶ精神的にバランス良くなったと思います…。いやぁあの頃はひどかった。
そう振り返ると、自分にとってのモノサシを得るにはいい考えに触れることができたと思います。
だがしかし、
「ミニマリスト」という言葉に対して胡散臭さが感じ、
カドが立ち、批判的な主張、また理想のあり方はなんぞや?という言論も見られるようなりました。
以前、書き溜めた「ミニマリスト論争」について、ここでまとめてみたいと思います。何か思考を纏める際の助けになればと思います。それではどうぞお付き合いください。
- 特にカドが立った点:①ミニマリストはエゴイスティック?
- 近日、本屋をいくつか回ったところミニマリズムに関する本がディスプレイに並んでいる。しかも集団で自己啓発会を開いたり、非ミニマリストをネットで攻撃する過激派までいるようだ。この点さえなければミニマリストは完全自給自足を目指すヤマギシ村のコンセプトに近いのだが、ミニマリストたちは情報発信だけマキシマムなのが特徴である。
- ②「ミニマリスト」=新興宗教?
- 【提起するけどさ】「自分はミニマリストだー!」という人は永遠にミニマリストのままだろうか?
- あとがき
特にカドが立った点:①ミニマリストはエゴイスティック?
近日、本屋をいくつか回ったところミニマリズムに関する本がディスプレイに並んでいる。しかも集団で自己啓発会を開いたり、非ミニマリストをネットで攻撃する過激派までいるようだ。この点さえなければミニマリストは完全自給自足を目指すヤマギシ村のコンセプトに近いのだが、ミニマリストたちは情報発信だけマキシマムなのが特徴である。
ただミニマリストと名乗る人らの間でも「お前のミニマリズムは違う」「俺のミニマリストはこうだ」などとミニマリスト同士でもミニマリズムというものの定義が違う。(中略)
「ボク・わたしの考えた最強のミニマリズム」が混在してしまう。
同じ様なミニマルな生活をしていてもミニマリスト()と修行僧に対する世間の評価はまるで逆だ、なぜだろう?
理由は簡単で、ミニマリスト()は貧困で溜まったフラストレーションを、物を捨てる事にぶつけ、それを自慢する事で対抗しようとしているからだ。 要は醜い貧困層のヒステリーだから叩かれているのだ。
人はどうしても感情的な言動に反応しますよね。
たとえば2016年にはやった「日本死ね!」という、理知的とは思えない言葉が鋭くなるように。
ぼくらはこうしたエモーショナルな言動に対してピクッとします。
そして、ミニマリスト界隈に見られる"承認欲求" ”競争的” "カタルシスの手段(吐け口?)"と捉えられている点に最も疑問が集まっています。
"ものを持つのはオワコン!シェアリングの時代だ!"
"ものに囲まれているからぼく(ワタシ)は不幸なんだ…"
少数の事例から 「ミニマリスト」という言葉だけが一人歩きし、
ひいては、「宗教」「唯一無二の思想」と捉えられている点に嫌悪感が抱かれるのだと推測します。
②「ミニマリスト」=新興宗教?
「ミニマリスト」「断捨離」は環境問題、ひいて過剰消費社会への反発から生じました。白と黒、隠と陽がある通り、「アンチ〜主義」はいつの時代でも登場します。
少し歴史を振り返ると、
19世紀〜20世紀に急伸した経済成長に伴い、環境問題が頻発しましたね。
「なんでこんなにモノに溢れるの…?」という問いは必然的にアンチを生み出し、
「断捨離」「ミニマリスト」という概念を生み出しました。
〜イズムと呼ぶだけで、その時点で宗教的なコミュニティと認識されているのであって、特段「宗教チックな概念だ!」と叫ぶ必要もないんですよ。
〜リスト 〜イズムと定義された時点で宗教は誕生しており、レッテル貼りのツールはすでに出来上がっているのですから。
この宗教化は、エヴァとかのアニメでも、〜論へのアンチテーゼという形で起こりうるのですから、何ら他の主義主張と変わらず、
「資本主義を撲滅させるためのミニマリズム」という極端な思想にだってなりえちゃうわけですよ。
でも、この世の中にはたくさんの宗教がありますよね?
別に、「その宗教を一生信じよ!」といわれているわけでもないですよね?
ぼくらはいつだって、信ずるものを変えてしまってもいいんです。
けっきょく、ミニマリストなんて特別視される所以もない、ただの一思想でしかないんですよ。
大目に見てあげましょう。
ということは、
【提起するけどさ】「自分はミニマリストだー!」という人は永遠にミニマリストのままだろうか?
もちろん答えは否でありますね。
まず、思考が不変の人間なんてものは存在しません。
それを裏付けるのは2つの事柄です。"欲"と"理性"であります。
人間はすべて欲を、どんな人であれ物欲はあります。
過ごす時期によって、必要なものが変化するだけ。
外界から刺激を取り入れ続ける限り、人は変わっていくんです。
幽閉されて、よっぽど一切情報が遮断される例外がない限りは、
全人間の意思は変化し続ける。そして、それを必要・不要とする判断を司る"理性"がある限り、留まることはないんですよ。
この"二つの事柄"に照らし合わせるなら、ミニマリストはミニマリストのままというレッテル貼りをすること自体もまた間違いなのです。
I'm Minimarist! という叫びは変化・進化の段階であり、自分の中に「丁度いい塩梅」「サイズ感」を探している過程でしかないのですから。
だから、白黒分ける世界に浸らずに自分にとっての中庸(価値判断)を決めることができると、各人の求める最大の幸福度に近づくことができるのだと思います。
まぁ、その傾倒があまりに見るに耐えられないのであれば、こっそりと離れたら良いでしょう。ワタシにとってアナタはとても浅ましい人になったわ。お元気で、さようならと思いながら。
※ミニマリストを批判する人も、ミニマリストこそ救ってくれると思う人も、いずれにせよ下記の一文を読んでみましょう。あなたにとっての中庸をもたらす言葉になると信じています。
このライフスタイルに賛同する人はぜひ一緒にマキシマリストになってほしい。きっとマキシマリストはミニマリストとも仲良くなれるはずだ。なぜなら、マキシマリストは要するにオタク気質のことで、ミニマリストは一種の「断捨離オタク」なのだから。
ートイアンナのぐだぐだ「マキシマリスト宣言:好きなものを、たくさん買おう」よりー
あとがき
なぜミニマリスト・マキシマリスト論争が起こったのかなぁと考えると、
"物"という、ある程度可視化できそうなモノを取り扱っているからなんですね。
大きいことはいいことだ、とかね。
どの塩梅が自分にとって丁度いいのだという、
自分に対しての問いかけでしかないのだなぁ…というのが、自分にとっての結論です。
あなたの幸せは、どんなモノに囲まれ、
触れながら生きている時ですか?
ではでは。またの機会に。
ぼくたちに、もうモノは必要ない。 - 断捨離からミニマリストへ -
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